「京都のどこが好き?」という質問の答えのいくつかに、「庭園が好きだから」というのがある。

日本庭園には「何を表現しているか」「何で表現しているか」「どのように鑑賞するか」で分類されている。
だが不思議なことに、その詳細を知らずとも、眺めているうちにその意図や美を感じ取って庭と一体になっているような感覚を覚えることがある。

その景色を見ながらひとり、心をからっぽにして己と向き合う。
目まぐるしく流れていく“時間”から解放され、ただ無心になる。

仏様、木材、畳、微かに香る線香の匂い。
空など、外の世界と“繋がって”完全には遮断されていない構造。
非日常でありながら日常に繋がっている狭間の感覚を、お寺と日本庭園はくれるように思う。

日常にいつでも戻れる距離だけれど、現世の慌ただしさ煩わしさ目まぐるしさから一旦自分をシャットダウンする。日々たまってしまったTempファイルを削除する。
観光地で賑わっていたとしても、庭と私は一対一であり一対無限でもある。
庭園を見つめ、自然の音に耳を澄まし、“再起動”する。
それが私にとっての日本庭園だ。

それらの庭園の中でも特に好きなのが東福寺の「八相の庭」だ。

東福寺といえば多くのドラマでも使われ紅葉の時期には大人気の通天橋が有名だが、その庭園も見事なものである。

東西南北にあるそれぞれの庭は実はまだ新しい。
何度も火災に遭い再建された東福寺。「八相の庭」は昭和14年、重森三玲によって作庭された。トップ画像にある市松模様など近代的なデザインの庭は、昭和に作庭されたものならではという印象だ。
ちなみに「八相の庭」は釈迦の生涯を意味する「八相成道」から来ているそうだ。

南庭にある八海。こちらは東から見たもの。
大方丈から眺める“海”と“山”。心が静かに落ち着いていく。

反対側の東庭にあるのは北斗七星(7つ良い感じで写っている写真がなく中と半端で申し訳ないです…いいのが撮れたら差し替えます)。日本庭園で初めて星座を表現した。
私が最初に訪れた時から東福寺の庭園が好きになってしまった理由が、この“星”を無意識に感じたからかもしれない。

そして西庭。大きな市松模様が目に飛び込んでくる。
ここで驚く。それまでに、このような市松模様を日本庭園で拝見したことがなかったからだ。
大きな南庭の次の小さな空間で市松模様はその存在感を主張する。

そして北庭。大きな市松模様の次に続く、小さな市松模様。
苔と石、緑と白が交互になる美しさ。やがてこの市松模様はバランスを崩していく――。輝く北斗七星、雄大な海である南庭の八海の裏手でひっそりと存在している北庭。
ここは、釈迦の入滅を意味しているのだそうだ。

庭園を眺めている時に自分が感じている“感覚”を言語化するのはとても難しいなあ、と思いながらこれを書いているのだけど。

初めて訪れた時に感じた「何か」は何度訪れても同じように感じ、私の心を無心にする。
様々な意図があって作庭されたそれぞれの庭園。感じた「何か」と向き合いながら、昨日までの自分を“リセット”ではなく“整理整頓”して“再起動”する。

私にとっての庭園は、日々の生活で無意識にたまった何かを整理する場所なのかも知れないな、と思うのでした。

東福寺

住所京都市東山区本町15丁目778
拝観時間 4月~10月 9:00~16:00 / 11月~
ホームページ http://www.tofukuji.jp/

転載元記事  https://note.mu/treesgarden/n/n16c61ffd0efa

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Wednesday, Nov 13, 2019
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